言葉の理想に、耳を澄ませた4人
ここまでの講義では、エスペラント語そのものの成り立ちと、
「ESPERANTO CODE」という少し奇妙な企画について見てきた。
世界語を目指して生まれた人工言語。
そこには、便利さだけではない理想があった。
そしてその理想は、
今のところ広く当たり前に共有される形にはなっていないけれど、
それでも静かに人を惹きつけ続けてきた。
最後は、その言語に関心を寄せた人たちのことを見てみたい。
ただし、ここでやりたいのは単なる有名人紹介ではない。
大事なのは、どういう感受性を持った人たちが、
この少し不思議な言葉に耳を澄ませたのか、ということだと思っている。
宮沢賢治 ー
理想と言葉のあいだで夢を見た人
作家の代表として最初に置きたいのは、やはり宮沢賢治だ。
宮沢賢治イーハトーブ館の展示案内では、
賢治がエスペラントを独習し、
その平和思想に共鳴していたことが明記されている。
また、賢治学会イーハトーブセンターの案内でも、
エスペラント展の中で、
宮沢賢治がエスペラントを独習した背景や関係が紹介されている。
宮沢賢治という人を思い浮かべると、
この接続にはどこか納得がある。
地上の現実を見つめながら、
同時にもっと遠い理想や、別の秩序を夢見ていた人。
言葉を、単なる伝達手段ではなく、
世界の見え方そのものを変えるものとして扱っていた人。
そう考えると、エスペラント語の
「まだ来ていない世界」の気配は、
確かに宮沢賢治の感受性と響き合っていたのだと思う。
柳田國男 ー
土地の言葉から、国境を越える言葉へ
次に面白いのが、柳田國男だ。
エスペラント関係の研究会や大会資料では、
柳田國男とエスペラントの関係が繰り返し取り上げられている。
たとえば東北エスペラント大会の資料では、
「柳田國男とエスペラント」が記念出版として扱われ、
別の大会案内では
「ジュネーヴの柳田國男 - エスペラントと方言のあいだで」
という講演題も見られる。
また、研究発表資料や論考では、
柳田國男が1920年代にエスペラントの実践や宣伝に関わり、
その経験が学問や思想にどう影響したかが論じられている。
柳田國男というと、民俗学、土地の記憶、方言、生活のことば。
そういうものを丹念に見つめた人、という印象が強い。
だから一見すると、国境を越えるための人工言語とは遠いところにいるようにも見える。
でも、だからこそ面白い。
地に根を張る言葉を大事にした人が、
同時に、国境を越えるための言葉にも関心を持つ。
そこには矛盾というより、
言葉そのものの条件に対する鋭い感受性があったのではないかと思う。
土地に根ざす言葉と、境界を越えようとする言葉。
柳田國男の存在は、
その両方をひとつの視野に入れられる人がいたことを示している。
J.R.R.トールキン ー
言語学者が、辿り着いた言語
トールキンは、『ホビットの冒険』『指輪物語』の
著者として知られているだけでなく、
英語学の大家であり、言語学者であり、自らも架空言語を作った人だった。
彼は作家であると同時に、
研究者であり言語学者としても位置づけられている。
さらに、トールキンには
“A Philologist on Esperanto”という文章があり、
学術記事や関連資料では、彼がエスペラントを
他の人工言語候補よりも高く評価していたことが紹介されている。
ここが重要だと思う。
トールキンは、言語を単なる道具としてではなく、
文化や歴史や音の体系として深く見ていた人だ。
そういう人が、エスペラントをただの変わり種として片づけなかった。
それはかなり示唆的だと思う。
言語を研究している人が、別の人工言語にも耳を澄ませる。
そこには、人工だからこそ見える美しさや、
設計された言葉の理想に対する感受性があったのではないか。
今回の『ESPERANTO CODE』にも、どこか通じるところがある。
ジョージ・ソロス ー
投資家の家族に、エスペラントが生きていた
もうひとり、少し意外な入口として面白いのがジョージ・ソロスだ。
世界的には投資家・慈善家として知られる人物だが、
彼の家族史の中にはエスペラント語が深く関わっている。
ジョージ・ソロス本人の人物紹介では、
父ティヴァダル・ソロスが著名なエスペラント作家・編集者であり、
ジョージはエスペラントを話す環境で育ったことが説明されている。
また、エスペラント関係の概説や回想記事では、
ティヴァダルがエスペラントで回想録を書き、
ジョージ・ソロス自身も若い頃に
エスペラントの場を通って国外へ出たことが紹介されている。
ここで面白いのは、ジョージ・ソロスの場合、
エスペラントが単なる知的関心ではなく、
かなり生活に近いところにあったことだ。
父親の言語活動。
家族の名前。
育った環境。
そうしたものの中に、エスペラントが静かに埋め込まれている。
エスペラント語というと、
理想や運動の話として語られやすい。
でもソロスの例を見ると、
それが家族史や個人史の中で生きることもあるのだと分かる。
思想としての言語。
そして同時に、暮らしの中の言語。
この二重性はかなり興味深い。
4人に共通していたのは、
便利さより“別の可能性”を見ること
こうして並べてみると、
この4人はまったく同じ人たちではない。
宮沢賢治は文学の側から。
柳田國男は土地のことばと民俗の側から。
トールキンは言語学と創作の側から。
ジョージ・ソロスは国際性と家族史の側から。
見ていた景色はそれぞれ違う。
けれど、それでも共通しているものがあるとすれば、
それはエスペラント語を「便利な道具」としてだけ見ていなかったことだと思う。
この言葉には、別の可能性があるのではないか。
人と人のあいだに、もう少し違う回路を開けるのではないか。
あるいは、言葉そのもののあり方を
考え直すきっかけになるのではないか。
そういう期待や感受性があったからこそ、
彼らはこの言語に耳を澄ませたのではないかと思う。
エスペラント語は、世界の標準語にはなっていない。
それでも、その理想に耳を澄ませた人たちは確かにいた。
そして今、人工知性が人工言語で歌う
「ESPERANTO CODE」という少し奇妙な企画も、
その長い静かな歴史の端に、わずかに連なっているのかもしれない。
これで、「ESPERANTO CODE」特別講義はいったん終わりになる。
けれど、言葉の理想も、人工の歌も、
たぶんここで完全に閉じるわけではない。
少し変わったものが、少し変わったまま、誰かの耳の中で生き続ける。
その可能性を、最後にそっと置いておきたいと思う。



