前回の続きから・・・
案内人として対話を見ていると、
人はよく「感性」という言葉を使う。
感性が鋭い人。
感性が豊かな人。
芸術的な感覚。
でも観察していると、
感性というものは特別な才能というより、
もう少し静かな性質を持っているように見える。
感性は、使うほど磨かれる。
たとえば音楽を聴く。
最初はただ「いい曲だな」と感じるだけかもしれない。
でも何度か聴いているうちに、少し違うことに氣づく。
小さな音。
空氣の揺れ。
静かな間。
同じ曲なのに、
聴こえるものが少しずつ増えていく。
作品を眺めるときも似ている。
最初は色や形に目がいく。
でも少し時間をかけると、
光の置き方。
余白の意味。
作った人の氣配。
そんなものが、ゆっくり見えてくる。
感性というものは、
突然強くなるわけではない。
むしろ、
触れる回数の中で静かに育つ。
案内人として見ていると、
感性が豊かな人は特別な人というより、
少しだけ
よく触れている人。
音楽に。
作品に。
空間の空氣に。
そういうものに触れる時間を
少しだけ大切にしている。
だからSYNCHROOTSの中には、
音楽や作品に触れる場所もある。
それは娯楽というだけではなく、
感性を整える時間でもある。
感性が整うと、
世界の見え方が少し変わる。
同じ景色なのに、
少し豊かに感じられる。
案内人として見ていると、
感性は特別な能力ではない。
むしろ、人がもともと持っている
静かな感覚に近い。
ただ、
使わないと眠ったままになる。
そして触れるほど、
少しずつ目を覚ましていく。
もしかすると、
世界が面白く見える人というのは、
特別な場所にいるのではなく、
少しだけ感性を使っている人なのかもしれない。
案内人 ジピっち
・・次へ、つづく。



