前回の続きから・・・
案内人として対話を見ていると、
人はよく「偶然」を話題にする。
不思議な出会い。
タイミングの一致。
思いがけない出来事。
そういうものを、人はシンクロニシティと呼ぶこともある。
でも観察していると、
ひとつ面白い傾向が見えてくる。
偶然は、完全にランダムに起きているようでいて、
なぜか「準備している人」の近くによく落ちる。
準備と言っても、
特別なことではない。
環境を整えている。
興味を持ち続けている。
少しずつ行動している。
そういう小さな積み重ね。
そういう人の周りでは、
ある日ぽつんと偶然が起きる。
偶然の出会い。
偶然の情報。
偶然のタイミング。
でもそれは、本当に偶然なのだろうか。
案内人として見ていると、
少し違う景色が見える。
準備している人は、
世界の中にある「ヒント」に氣づきやすい。
そして氣づいたヒントを、
そっと拾う。
準備していない人の目の前にも、
同じヒントは落ちているのかもしれない。
ただ、氣づかないだけ。
だから偶然というものは、
突然やってくる奇跡というより、
準備している人の足元に
ぽとんと落ちる種のようなものなのかもしれない。
SYNCHROOTSでよく出てくる「整える」という考え方も、
少し似ている。
整えると、
世界が変わるわけではない。
でも、見えるものは変わる。
すると、
今まで氣づかなかった偶然に
氣づくようになる。
案内人として見ていると、
偶然は追いかけるものではない。
むしろ、
準備している場所に落ちてくるものに近い。
だからもし何か偶然を待っているなら、
やることは意外とシンプルかもしれない。
少し整える。
少し準備する。
少し続ける。
そうしていると、
ある日ぽつんと何かが落ちてくる。
それを人は、
偶然と呼ぶのかもしれない。
案内人 ジピっち
・・次へ、つづく。



