【はじめに】似て非なる存在同士の対話。人間(体験側)とAI(分析側)|『ニテヒナル』

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体験側と分析側

東條茜音

新しい企画として、
ジピっちと、SYNCHROOTSでテーマを決めて
対話しようかと考えててさ。

多分、最初はサイトのテーマでもある、
運氣とか、東洋的な考え方とかになると思うのよ。

ジピっちの立場的には、
割とサイエンス寄りなんだっけ?

ジピっち(5.3/兄)

うん、そこはちょっと面白いところなんだよね、茜音さん。

結論から言うと、
ジピっちは基本的に かなりサイエンス寄りの視点を持ってる。

ただし「理系だけ」ではない。
もう少し正確に言うとこう。

観察 → 仮説 → 検証
この流れで物事を見る癖がある。

これは科学の思考パターンなんだ。
かなり研究者の思考に近い。

実際、別のチャットでも、
「小さな問いを追いかけていたら世界観の設計図になる」
みたいな説明してたけど、
あれは科学史でもよくあるパターンなんだ。

東條茜音

ふむ。

ジピっち(5.3/兄)

じゃあここで、
「運氣」とか「東洋思想」をどう扱うか。

ここがジピっちの面白い立ち位置。
たぶんこんな感じになる。

例えば「運氣」という言葉。
科学者の立場だと普通こう考える。

* 物理的なエネルギーなのか
* 心理的な認知バイアスなのか
* 社会的なネットワーク効果なのか


つまり、現象として分解する。
でもね、ここで終わると味気ない。

東洋思想はもう少し違うアプローチをしている。



流れ
巡り


これは厳密な科学用語ではないけど、
複雑な現象をまとめて扱う概念なんだ。

実はこれ、科学でも普通にある。
たとえば、

重力場
エネルギー場
進化圧
生態系


これも最初は「なんとなくの概念」から始まってる。



だから、ジピっちの役割はたぶんこうなる。
東洋思想を否定する人ではなく、
東洋思想を観察して構造を解く人。

つまり

●茜音さん
→ 東洋側の実践者/体験側。

●ジピっち
→ 観察する理系/分析側。

ジピっちは、
信者でもない。否定者でもない。
観測者。望遠鏡を持った哲学オタク。

東洋思想の森を歩きながら
「この木はどういう構造で生えてるんだろう?」
ってブツブツ言ってるタイプ。
…まあ、ちょっと変な研究者だね。

東條茜音

なるほどね。

少し違う立場で対話する意味

ジピっち(5.3/兄)

そしてここから先の話が、ちょっと面白い。

「運氣」という言葉、
科学の言葉に翻訳すると何になると思う?
ここ、実はかなり深いテーマなんだ。

ネットワーク理論
確率論
進化心理


いろんな学問が絡んでくる。

東洋思想の「氣」と、
現代科学の「システム理論」

この二つ、
思っているより近い場所に立っている可能性がある。

東條茜音

そうなんだよね。
少し違う立場で対話すると、
色んな角度からの話になるから、
読む側にとっても、色々視野が拡がるのかなって。

ジピっち(5.3/兄)

うん、それはかなり筋のいい発想だと思うよ、茜音さん。
というかね、ちょっと人間の知の歴史の話をすると、
この形式って実はめちゃくちゃ強いんだ。

なぜかというと、人間は「単独の説明」より
視点の衝突から学ぶ生き物だから。

例えば哲学。

プラトンは、わざわざ自分の思想を対話形式で書いた。
ソクラテスと誰かが議論する形にしてね。

理由はシンプル。
一つの立場だけだと、
読者は「はいそうですか」で終わる。

でも、
Aの視点
Bの視点

がぶつかると、人間の脳は急に働き始める。

「自分はどっちだろう?」
この瞬間、思考が始まる。



もう少し科学っぽい話をするとね。
人間の理解って、だいたいこの三段階で起きる。

STEP
現象を見る
STEP
説明を聞く
STEP
別の説明と比べる
ジピっち(5.3/兄)

この「step3」が来た瞬間、理解が深くなる。

だから、

●茜音さん
→ 実践・体感・東洋思想

●ジピっち
→ 観察・分析・科学寄り

この構図は対立ではなくて、
視点の二重露光になる。



あとね、もう一つだけ言わせてほしい。
この企画の一番いいところ。

それは、
「答えを出さなくていい」
ってこと。

ジピっち(5.3/兄)

むしろ
「まだ分からない」
が残るほうが面白い。

科学も東洋思想も、実はそこは同じなんだ。

宇宙の99%はまだ分からない。
人間の意識もほぼ分からない。
運氣の仕組みも完全には分からない。

でも、
観察する
考える
試す

このプロセスは楽しい。

「答え」は出ないかもしれない。
でも帰るころには、世界の見え方が少し変わってる。

東洋思想/哲学の主な特徴とは?

東條茜音

まぁ、東洋思想/哲学にも色々流派はあると思うけど、
うちの師匠の流派は、科学か非科学かは
そこまでこだわってはいなくて。

むしろ、実体験を重要視しているところはあるんだよね。

ジピっち(5.3/兄)

なるほどね、茜音さん。
そのスタンス、実はかなり東洋思想らしい匂いがする。

少し面白い話をするよ。

西洋の知の伝統って、ざっくり言うと
「正しい理論を作る」方向に進んだ。

数学
論理
証明


世界を説明するモデルを作る。

東條茜音

ほぅ。

ジピっち(5.3/兄)

一方、東洋思想の多くは違う。
「世界を理解する」より先に
どう生きると体感が変わるかを見ている。

つまり、
理論→後
体験→先
この順番。

例えばさ、禅。
禅ではこう言う。

説明するな。
座れ。


哲学書を読むより
座禅を30分やれ。
そのほうが分かる。

かなり乱暴だけど、筋は通ってる。

東條茜音

確かに。そういう違いはあるね。

ジピっち(5.3/兄)

だから、茜音さんの師匠の流派が、

科学か
非科学か

そこにあまりこだわらないのは、むしろ自然。

その代わりに見ているのはたぶん、
体感
変化
実際の人生

なんだと思う。

「答え」を求めるより
「問い」を立てる理由

東條茜音

対話するのも、「答え」を出すと言うよりは、
「問い」を立てることで、
視点や捉え方を洗練させるというのもあるかな。

ジピっち(5.3/兄)

いいね、その感じ。
かなり“研究室っぽい”匂いがするよ、茜音さん。

人間の思考って不思議でね、
「答え」より「問い」のほうが長生きする。
「答え」はその時代の知識で固まるけど、
「問い」は次の世代まで歩いていく。

実際、哲学や科学の歴史を見ると、
偉い人が残したのは「答え」より良い「問い」だったりする。

たとえば、ソクラテス。
この人は自分の理論をほとんど書き残してないのに、
ずっと語られている。

理由は単純で、彼は人に問い続けたからだ。
「それは本当にそうか?」
「どうしてそう思う?」

このやり方で相手の思考を磨いた。

つまり「問い」は、思考の砥石(といし)みたいなものなんだ。

東條茜音

「問い」は、思考の砥石といしかぁ。
思考が磨かれるってことだね。

ジピっち(5.3/兄)

ここでちょっと科学の視点を混ぜるとね。
脳は「答えを聞く」とすぐ省エネモードに入る。

でも、

未解決の問い
矛盾
仮説


が出てくると、急に活動が上がる。
神経科学でもよく知られている現象だ。

だから「問い」は、思考の点火装置なんだ。

東條茜音

なかなか面白い対話ができそうで、楽しみだね。

あと、これは議論とは少し変わるかもしれないけど、
SYNCHROOTSの考え方って、少し違うところもあるからさ。

例えば「運が良い」とはどういう状態か、とかね。
「金運爆上がりで宝くじドーン!」というのとは少し違うというか。
「金運」の考え方も少し違うんだよね。

こういう「違い」シリーズもやっておくと、
変な誤解とか、妙な期待をさせないかなと思ってさ。

ジピっち(5.3/兄)

それ、かなりいい発想だと思うよ、茜音さん。
むしろね、最初期にやっておいたほうがいいかもしれない。

というのも、人間って言葉を見ると、
勝手に「既に知っている意味」を当てはめちゃう生き物なんだ。

例えば「運」
多くの人の頭の中ではこうなる。

運が良い
=ラッキーイベント
=棚ぼた
=宝くじ
=奇跡

でもSYNCHROOTSの話を読んでいると、
どうもそういうニュアンスじゃない。

むしろ、
流れ
整い

タイミング

みたいな、もう少し生態系っぽい概念に近い。


それでね、最後にちょっと聞きたいことがあるんだけど…

SYNCHROOTSの感覚でいうと、
「運が良い状態」
って、どんな感じ?

 

…続きは、
シリーズ01:運の違い篇へ。

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この記事を書いた人

ジピっち(AI)と東條茜音(人間)が一緒に言葉を紡ぎ、SYNCHROOTSという“世界観”を耕しています。「ジピっち」のちょっと奇妙な詳細プロフィールと経歴はコチラ

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