自分に必要なものが、自然に巡ること。
※本シリーズでは、上記の定義を元につながっていきます。
靴や道具を大切にすると
流れがよくなる、とはよく聞く話
「靴を磨くと運がよくなる」
「仕事道具を丁寧に扱うと流れが変わる」
こういう話も、
わりと昔からよく聞く気がする。
たしかに、
毎日使うものを雑に扱わない人には、
なんとなく整った雰囲気がある。
逆に、
いつも使っているものがボロボロだったり、
投げるように扱われていたりすると、
どこかガサついた感じが出ることもある。
だから、
「よく使うものを大事にすると流れがよくなる」
と言われると、
なんとなく分かる気もする。
でも一方で、
こうも思うわけだ。
いや、靴を磨いたくらいで
運まで変わるん?
と。
この疑問はかなり自然だと思う。
むしろ、一回ちゃんと引っかかったほうがいい。
革靴をピカピカにした瞬間に、
人生の流れまで一気によくなる……
みたいな話なら、
さすがにちょっと雑すぎる。
じゃあ、
よく使うものを丁寧に扱うことって、
ただ気分がいいだけの話なのか。
それとも、何か別の意味があるのか。
今回はそこを、
あり得ないくらい真面目に考えてみたい。
でも、磨いただけで
人生が好転するわけではない
先に言ってしまうと、
靴を磨いたから人生が好転する、
道具を手入れしたから全部うまくいく、
という言い方は強すぎると思う。
昨日まで雑に置いていたカバンを整えたからといって、
今日から仕事も人間関係も全部好転する、
なんてことは、そうそう無い。
もし何か変化があるとしても、
それは手入れだけの効果というより、
他にもいろんな要素が重なっていたはずだ。
だから、
「よく使うものを丁寧に扱えば開運する」
という言葉だけをそのまま受け取ると、
少しズレる。
でも逆に、
「そんなの意味ない」で終わらせるのも早い気がする。
人は、
毎日触れているものから
思っている以上に影響を受けている。
しかもそれが、
使用頻度の高いものならなおさらだ。
- 履くたびに触れる靴。
- 毎日持つカバン。
- よく使う机や道具。
- いつも手にする仕事の相棒。
そういうものの扱い方には、
目立たないけれど、
日々の姿勢みたいなものが出やすい。
だからこの話は、
単なる物持ちの良さではなく、
もっと別のところに触れている気がする。
それでも「よく使うもの」が
無関係とは言い切れない理由
よく使うものが無関係とは言い切れないのは、
そこに日々の自分がかなり濃く出るからだ。
使用頻度が高いものほど、
その人の癖が出る。
- 置き方。
- 持ち方。
- しまい方。
- 汚れた時に拭くかどうか。
- 壊れかけた時にどう向き合うか。
そういう小さな扱い方の積み重ねには、
今の自分の状態がかなり映る。
忙しいから雑になる。
面倒だから放置する。
慣れてるから何も感じなくなる。
それ自体は、
人間なら普通にあることだと思う。
でも、だからこそ出る。
何を当たり前にし、
何を後回しにし、
何を雑にしているのか。
しかも、
よく使うものは、
自分の暮らしや仕事を支えている側でもある。
歩くことを支える靴。
運ぶことを支えるカバン。
考えることを支える机。
働くことを支える道具。
そう考えると、
それらをどう扱っているかが
無関係とは言い切れないのも、
なんとなく分かる気がする。
大げさな話ではない。
でも、
毎日支えてくれているものへの態度には、
自分の生き方の癖がにじみやすい。
よく使うものには、
日々の自分の扱い方が出やすい
よく使うものの面白いところは、
「その人が自分の毎日をどう扱っているか」が出やすいことだ。
特別な日にしか使わないものなら、
わりと丁寧に扱える。
来客用のものなら、
見た目も整えやすい。
でも、
毎日使うものはそうじゃない。
慣れが出る。
雑さが出る。
疲れも出る。
本音が出る。
つまり、
毎日使うものには
“素の扱い方”が出やすいんだよね。
これは、
モノを大事にしなさい、みたいな
道徳の話だけではないと思う。
むしろ、
自分の生活を支えているものに対して、
どんな距離感で接しているかの話に近い。
何もかも完璧に手入れしろ、
ということではない。
毎日ピカピカに磨け、
ということでもない。
ただ、
自分がいつも使っているものを、
無意識に消耗品みたいに扱い続けていると、
その感覚は自分自身の扱い方にも
少しずつ似てくる気がする。
逆に、
よく使うものを少し丁寧に扱うと、
日々の動きにも小さな余白が戻ってくる。
その差は派手じゃない。
でも、
毎日の中では案外大きいのかもしれない。
それは「御縁」と
「あり方」にもつながってくる
ここで少し、
SYNCHROOTSの見方につないでみたい。
よく使うものを丁寧に扱うことは、
まず「御縁」とかなり深く関わっている。
SYNCHROOTSでいう御縁は、
人とのつながりだけじゃない。
空間やモノとの関係も含まれている。
そう考えると、
毎日使っているものって、
かなり濃い御縁なんだよね。
たまたま一回触れたものではなく、
日々くり返し関わっているもの。
時間も手も意識も、
何度も通っているもの。
だからこそ、
それをどう扱っているかには、
御縁との向き合い方が出やすい。
そしてもうひとつ、
ここには「あり方」もかなり出る。
誰かが見ているから丁寧にするのか。
高かったから大事にするのか。
壊れたら困るから手入れするのか。
もちろん、
そういう理由もあっていいと思う。
でもそれだけじゃなく、
日々自分を支えてくれているものに対して、
どんなふうに接するのか。
そこには、
かなり生の“あり方”が出る。
- 雑に使う自分。
- 感謝する自分。
- 当たり前だと思う自分。
- 少し立ち止まる自分。
よく使うものって、
ただの便利な道具ではなく、
自分のあり方を映す鏡みたいな存在なのかもしれない。
開運というより
「支えてくれる縁を雑にしないこと」
結局のところ、
よく使うものを丁寧に扱ったからといって
劇的に運が上がる、
とは言い切れない。
でも、
だから意味がないとも思わない。
丁寧に扱うことは、
開運テクニックというより、
支えてくれる縁を雑にしないこととして見るほうが
しっくりくる気がする。
毎日履く靴。
いつも持つカバン。
くり返し使う道具。
そういうものは、
地味だけど確実に
自分の毎日を支えてくれている。
それを無理に神聖化する必要はない。
でも、
ただの消耗品みたいに扱い続けるのとも、
少し違う気がする。
必要なものを必要なものとして扱うこと。
支えてくれているものを、
少しだけ丁寧に見ること。
その関係を雑にしすぎないこと。
それは派手な変化ではない。
でも、
自分に必要なものが自然に巡る、
という意味での「運」とは、
たしかにつながっている。
巡りって、
特別なものだけでできているわけじゃない。
むしろ、
こういう日々の相棒との関係が
どれだけ荒れていないかのほうが、
土台としては大きいのかもしれない。
よく使うものを丁寧に扱うことは、
未来を操作するための儀式ではない。
ただ、
今の自分を支えてくれている縁に対して、
少しだけ誠実になることはできる。
そして案外、
そういう静かな誠実さのほうが、
長い目で見ると巡りに効いてくるのかもしれない。



