自分に必要なものが、自然に巡ること。
※本シリーズでは、上記の定義を元につながっていきます。
「トイレ掃除で運がよくなる」
は昔からよく聞く話
「トイレを掃除すると運がよくなる」
これは、かなり昔からよく聞く話だと思う。
とくに有名なのは、
「金運が上がる」みたいな言い方かもしれない。
実際、開運の話を見ていると、
玄関掃除と並んで、
かなり定番のように出てくる。
でも正直、
こう思う人も多いはずだ。
いや、トイレ掃除したくらいで
そんな変わるわけあるかい!
と。
このツッコミは自然だと思う。
むしろ、一回ちゃんと疑ったほうがいい。
便器を磨いた瞬間に、
人生が劇的に好転する……
みたいな話なら、
さすがにちょっと雑すぎる。
じゃあこの話は、
ただの気休めなのか。
それとも、何か別の意味があるのか。
今回はそこを、
あり得ないくらい真面目に考えてみたい。
でも、掃除しただけで
急に開運するわけではない
先に言ってしまうと、
トイレを掃除しただけで急に開運する、
という言い方は強すぎると思う。
昨日まで散らかっていたトイレを磨いたからといって、
翌日から仕事も人間関係も全部うまくいく、
なんてことは、そうそう無い。
もし何か変化があるとしても、
それはトイレ掃除だけの効果というより、
他にもいろいろ重なっていたはずだ。
だから、
「トイレを掃除すると運がよくなる」
という言葉だけをそのまま信じると、
少しズレる。
でも逆に、
「そんなの意味ない」で片づけるのも早い気がする。
人は、
思っている以上に
空間の扱い方に影響を受けている。
しかもそれは、
目立つ場所だけじゃない。
むしろ、
面倒で、
見えにくくて、
できれば後回しにしたい場所にこそ、
その人の癖が出やすい。
トイレの話も、
たぶんそこに触れている。
それでも「トイレ」が
無関係とは言い切れない理由
トイレが無関係とは言い切れないのは、
そこが家の中でもかなり特殊な場所だからだ。
毎日使う。
でも、長居したい場所ではない。
目立たない。
でも、使わない日はほぼ無い。
しかもそこは、
「いらないものを出す場所」でもある。
つまりトイレは、
生活の中でかなり重要な役割を担っているのに、
できるだけ意識の外に置かれやすい場所なんだよね。
だからこそ、
そこがずっと汚れていたり、
空気がこもっていたり、
なんとなく不快だったりすると、
無意識への影響は小さくない。
入るたびに少しイヤな感じがする。
なんか雑然としている。
できれば見ないふりをしたい。
そういう小さな不快感って、
一回ごとは小さくても、
毎日積み重なると意外と効いてくる。
しかもトイレって、
「不要なものを流す場所」であるぶん、
詰まりとか放置とか、
そういう言葉とも妙に相性がいい。
だから昔から、
象徴的な意味も含めて
語られやすかったのかもしれない。
トイレは、いらないものを
手放す場所でもある
トイレをただの設備として見ると、
掃除すれば清潔、くらいの話で終わる。
でも、
その場所の役割まで見ると、
少し意味が変わってくる。
トイレは、
いらないものを外へ出す場所だ。
身体の中に溜め続けないために、
不要になったものを手放す場所。
言ってしまえば、
排出とか、
流すこととか、
残さないことに関わっている。
だからここが汚れていたり、
詰まっていたり、
雑に扱われていたりすると、
「不要なものをちゃんと流せていない感じ」と
どこかでつながりやすい。
もちろん、
トイレが汚いから心も詰まる、
みたいな単純な話ではない。
でも、
不要なものを手放す場所を
ずっと放置していると、
その状態に自分が慣れていく感じはある。
少し不快でもそのまま。
なんとなく嫌でも後回し。
気づいてるけど見ないふり。
この癖って、
空間だけじゃなく、
暮らし全体にも出やすい。
だからトイレ掃除って、
ただ清潔にする行為というより、
「ちゃんと流す」「溜めっぱなしにしない」
という感覚を取り戻す行為でもあるのかもしれない。
それは「身體」(カラダ)と
「感覚」にもつながってくる
ここで少し、
SYNCHROOTSの見方につないでみたい。
トイレという場所は、
まず「
排出は、
そのまま身体の働きのひとつだからだ。
ちゃんと出せるか。
溜め込みすぎていないか。
巡りが滞っていないか。
そういうことは、
思っている以上に
身体の状態とつながっている。
そしてもうひとつ、
トイレは「感覚」ともかなり関係が深い。
におい。
湿気。
空気の重さ。
視界のゴチャつき。
なんとなく入りたくなさ。
こういうものって、
かなり直接的に感覚へ入ってくる。
しかもトイレは、
毎日使う場所だから、
その小さな違和感を何度も浴びることになる。
逆に、
ちゃんと整っていると、
必要以上に意識を削られない。
スッと入れる。
余計な不快感がない。
用が終わったら、ちゃんと切り替えられる。
この差は地味だけど、
毎日の中では案外大きい。
SYNCHROOTSでは、
こういう「なんとなく受けている影響」も大事にする。
理屈で説明しきれなくても、
その空間が「
トイレは、
「
かなり分かりやすく現れる場所なのかもしれない。
「運」を呼ぶ儀式というより
「滞りを減らす行為」
結局のところ、
トイレ掃除をしたからといって
劇的に運が上がる、
とは言い切れない。
でも、
だから意味がないとも思わない。
トイレ掃除は、
運を呼ぶ儀式というより、
滞りを減らす行為として見るほうが
しっくりくる。
不要なものを流す場所を、
雑にしないこと。
見えにくい場所の不快感を、
そのまま放置しないこと。
小さな詰まりを、
慣れで見逃さないこと。
それは派手な開運じゃない。
でも、
自分に必要なものが自然に巡る、
という意味での「運」とは、
たしかにつながっている気がする。
巡りというのは、
何かを増やすことだけで起こるわけじゃない。
むしろ、
余計な滞りが減ることで、
戻ってくるものもある。
トイレ掃除って、
たぶんそういう種類の行為なんだと思う。
未来を操作するための裏ワザではない。
ただ、
流すべきものを流せる状態を、
空間の側から支えていくことはできる。
そして案外、
そういう地味な整え方のほうが、
長い目で見ると巡りに効いてくるのかもしれない。
次回は、
もう少し“人の目”から離れた行為として、
「ゴミ拾い」と運の関係を考えてみたい。



